
冬の名残がまだ肌に残るこの土地にも、福寿草が静かに顔を出し、早咲きの桜がほのかに春を告げています。季節は気づかぬうちに、歩みを進めています。
先日、訪問診療で出会った90代の女性が、ぽつりとこう話されました。
「最近、耳が遠くなってね。ラジオが聞こえなくなったの。」
白内障のためテレビは見えず、その方にとってラジオは、日々を照らす小さな灯でした。その灯が消えかけていることは、想像以上に寂しいことだったのでしょう。
耳鏡で外耳道をのぞくと、大きな耳垢が詰まっていました。同行していたベテラン看護師が点耳薬で柔らかくし、丁寧に取り除いていきます。やがて、両耳からパチンコ玉ほどの耳垢が姿を現しました。
処置が終わったあと、患者さんはぱっと明るい笑顔になりました。
「よく聞こえるわ。」
その一言に、部屋の空気がふっと軽くなったように感じました。
子どものころ、母の膝枕で耳掃除をしてもらう時間が大好きでした。綿棒のやさしい感触に身を委ねるあのひとときは、どこか安心とぬくもりに満ちていました。
けれども、本来、耳垢は取り除くべき「汚れ」ではありません。ほこりや細菌をとらえ、外耳道の皮膚を守りながら、静かに外へ移動していきます。
人が話し、食べ、笑うたびに、顎の動きに合わせて耳垢は少しずつ出口へと向かいます。体は、自らを整える仕組みを、すでに持っているのです。
柔らかそうに見える綿棒も、実は繊細な外耳道の皮膚を傷つけることがあります。そして耳垢を取り除くどころか、奥へ押し込んでしまうことも少なくありません。
その結果、耳は詰まり、痛み、ときには聴力までも奪われてしまいます。
では、どうすればよいのでしょうか。
答えは、とてもシンプルです。「何もしないこと」。それが、最も安全で、最も理にかなった方法です。外から見える部分を、タオルでやさしく拭く。それで十分なのです。
もし痛みや聞こえにくさがあれば、そのときは医療者が関わります。点耳薬や洗浄、器具による処置は、必要なときにだけ、慎重に行われるべきものです。
看護の現場には、「何かをする」だけでなく、「何もしないことを選ぶ」という大切な判断があります。耳垢のケアは、その象徴のようなテーマです。
人の体には、本来備わっている力があります。
それを信じ、邪魔をせず、必要なときにだけそっと手を添える。
その静かな関わりの中に、看護の美しさがあるのではないでしょうか。
